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【簪の歴史】簪の頭に・・・こんなものが!!

皆さんこんばんは! 簪工房の神谷です。

今週末は暖かかったですね。お花見された方も多いのでは!? 私は残念ながら出来ませんでした。 らいしゅできるかな!?

さてさて。今日は面白い歴史を御紹介! この写真をご覧ください。頭になにかついていますね!!


何と耳かき!これ、便利のためじゃなかったんです…

ニッポンのかんざしの歴史は縄文時代までさかのぼりますが、 写真のようにかんざしのアタマに「耳かき」がつくようになったのは、 江戸期・享保(きょ うほう)年間(1716~37年)だったようです。 後世の文献──文政年間(1818~29年)に著された加藤曳尾庵『我衣(わがころも)』に、 〈享保 頃ヨリカンザシト名付ル物、上耳カキ、下髪カキ、銀ニテ作ル〉とあります。

 なぜ、耳かきだったのか? それは、歴代の江戸幕府が、 財政がピンチになるたびに発令した「奢侈(しゃし)禁止令」と深い関係が有るうそうです。 「こんな時節に、町家の婦女子の分際で華美な贅沢品を使うのはまかりならん!」と、 かんざしの使用が御法度になったのだそうです・・・。なんと・・・。

 ところが、江戸の市民はタフだったようです(笑) 禁止令もなんのその、三日もたてば江戸市中に御法度破りの新製品が出回りました。 町娘たちの島田髷(しまだまげ)には新趣向のかんざしがキラキラキラ。 「なにをおっしゃる、これはかんざしではござりませぬ。ほれ、このとおり耳かきではありませぬか」、と。

実際、それは耳かきとしても立派に役立ったたそうです。 うらやましい話ではありますが、愛しい男を膝枕、かんざしのアタマで耳をホジホジ。

そして、かんざしにはもう一つ大きな実用性がありました。 そう!落花狼藉、手篭(てご)めにしようとする憎っくき男の目に切っ先をグサリ! イザというときの護身具としても大きな威力を発揮したのだそうです!!!

だからですかね、簪=武器のイ目^時があるのって…(笑)

 かんざしとは、単なる髪飾りではなく 男女の情愛の機微を内に秘めた銀細工の「記号」なのだそうです。

耳かきを使えば愛情、先端を使えば憎悪。。。

なんだか、意味しんですね!

それでは、また!

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